fantasy

基本的に、人様が一生懸命作ったものに対して文句をつけるのは主義に反するので、このブログではどんな映画について語るときもなるべく良いところに目を向けて感想を書くようにしてきました。が、今回ばっかりはごめんなさい。

漫画や小説の映画化に対して烈火のごとく怒る原作ファン、に対して「そんなに怒らなくてもそれはそれとしておけばいいんじゃない?」などと、今まで冷淡な態度を取ってきたことをここにお詫びします。やっとその気持ちがわかりました。

「私の観たいアリスの世界」からはあまりにも遠すぎました。別のタイトルでやってほしかった。ティム・バートンは、不思議の国のアリスが持っている、チェシャ猫やマッドハッターやバラやお茶会のモチーフが欲しかっただけなんじゃないか、とすら思います。ティム・バートンとジョニー・デップがネームバリューと、アリスの持つ普遍の魅力を利用して、つまらない冒険映画を自分たちのやりたいように撮ってアコギな商売をした、というふうにしか見えないです。

ポスターにでかでかと書かれていた"戦うアリス"っていうコピーに違和感を感じて劇場で観ずにいた(飛行機で観ました)のは正解でした。アリスは武器を持って戦ったりしません。ルイス・キャロルだって草葉の陰で泣いているに違いありません。

かように映画の大前提に対して疑問符を持っている状態で観たので、ストーリーについても全く楽しめず。違和感だけが募りました。予言の書や妙な怪獣という、アリスの世界に明らかにそぐわないモチーフもとても不快でした。原作の世界観が好きな人にとっては、アリスの世界に「予言」なんていう概念を持ち込むこと自体が、とんでもないナンセンスと感じられるのではないでしょうか。

そして、ジョニー・デップの厚化粧が見るに耐えないです。マッドハッターは確かに特異のキャラクターだし、テニエルの挿絵でも不気味な姿ですが、それにしたってあれはない。顔芸だけでマッドハッターが演じられると思わないでもらいたい。こんなのただの好き嫌いだし、言いがかりレベルの感想だってわかってるけど、別の題材でやってください、と言いたいのです。

「アリスインワンダーランド」というタイトルのもとに、ていのいい舞台装置として不思議の国を利用したこの映画、その舞台装置が取り去られたら、そこにはいったい何が残ったのか、と思います。
公開当日に張り切って観に行ったんだけども。
ビジュアル120点、脚本20点、とにかく惜しい!という印象でした。期待値高すぎたのかも。

脚本20点、っていっても原作となった絵本は大好きなので、ストーリーのふくらませ方に違和感がありすぎたという感じです。時間を稼ぐための混ぜもの、あるいは想像力の足りない鑑賞者を納得させるための混ぜもの、という感じがしてなりませんでした。

世界一のPV監督であるからして、効果的なショットだらけで視覚的には本当に楽しかったんだけど、かいじゅう同士の複雑な人間(かいじゅう)関係の描写 は完全に蛇足。子供の成長譚としても中途半端で、無理やりにガッチリしたストーリーラインを作らずに、もっと郷愁をさそうことだけに集中してしまっ て良かったのではないかと思いました。

予告編を観るたびに、胸にせまるものがありすぎて泣きそうになっていたわたしだったのですが、本編ではあまりそういう気分になりませんでした。セリフやキャラクター描写に興を削がれた、としか言いようがないのですが、それが本当に残念。

幼少期に誰もが持っていた、ここではないどこかへの憧れ、暗がりに跋扈する異形の友達、夜中に夢から覚めて両親のいる明るいリビングにぬいぐるみを抱えてもじもじと行く感じ、それを思い出させるだけで良かったと思います。わたしはこの映画にそれを求めてました。

名状しがたい感覚を強く揺さぶる力のあるPV作品をあれほどたくさん世に出している監督だからこそ、その一点で勝負をかけてくれたら良かったのになって思います。


定期的に観たくなるソフィア・コッポラ映画。再鑑賞です。

この映画は、ソフィアの「アントワネットのヴェルサイユでの生活がこうだったらいいな」という、少女的な妄想の結実です。それをどう思うかは完全に好みの問題だけど、わたしは素晴らしいと思います。ソフィアは女の人が持っている、少女のころに夢見たこと、大人になってからはあからさまにはしないけど心のどこかに持っているものを、素晴らしい完成度でかたちにしてくれた英雄だと思います。
もっと言うと、フリルとレース一辺倒だった少女時代の妄想をベースに、その後のポップカルチャーとの出会いを経て複雑化した「お姉さんがたのガーリーな妄想」を、映画にしてくれた英雄だと思います。

つまりやってることは、タランティーノやウォシャウスキー兄弟といっしょ。っていうと男の人は怒るよねー、きっと。わたしはタランティーノもウォシャウスキー兄弟も好きだけど、不可逆かもね。男って狭量ねー。と、ガーリームービー鑑賞直後はだいぶフェミニンな思考になりますね。

歴史映画として観て文句たれてるやつはアホ、と以前のこのブログの一行感想に書きましたが、改めてそう思います。本来、アントワネットはアルコールのたぐいを口にしなかったとされていますが、シャンパンを飲んではしゃぐ場面があるのは、それがガーリームービーとして欠かせない要素だからです。舞踏会では貴族たちがジョイ・ディヴィジョンの ceremony で踊るし、ドレスを選んでいるときにチラっとコンバースのオールスターが映ります。こうしたカットで、ソフィアは明らかに、史実よりもガーリーアートムービーとしての図柄を優先させている、ということをわかりやすく宣言しています。だからその上で、これを歴史映画として観て、文句を垂れてるやつは、ドトールのコーヒーに文句つける本格珈琲好きみたいでアホだな、って思います。

「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という有名なセリフが、実はアントワネットの発言ではなかった、ということはあまり知られていない事実です。人は、200年も前のマスコミにすら翻弄されてしまう。であれば、アントワネットの暮らしを、ガーリーに仕立て描いた映画にどれほどの罪があるのかと思います。歴史的な浪費の女王として語られる反面、愛らしく夢見がちに語られることがあっても良いと思います。

お姫様、フランス、ドレス、マカロン・・・と、とにかくマッチョなむきには鼻で笑われる要素が満載で、公開当時はずいぶん冷淡なレビューを書いていたレビュアーも多かったなあという印象ですが、同時に、映画の価値はそのモチーフにあるわけではない、という明らかな事実を、この映画に関しては忘れている人が多かったのも事実ではないでしょうか。つまりそれだけ、マリーアントワネットとヴェルサイユ宮殿というモチーフが、無視できない大きなものであるということだと思います。

女性特有の、ふわふわとした夢のような思いを、映像化することはソフィア・コッポラという監督のもっとも得意とするところですが、そのモチーフにマリーアントワネットとヴェルサイユ宮殿という、究極にロマンティックにして巨大なモチーフを選んだこと、その困難に挑んだことが本当に素晴らしいと思います。そういう意味でこの映画は素晴らしいと思います。

その上で、この映画を好む好まないの問題は語られるべきだと思います。

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崖の上のポニョ

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前評判があんまりよろしくないので心配しつつ観にいきましたがとても良い映画でした。

なにより海の描写がすばらしい。宮崎監督の描く、いろんな生き物がごしゃごしゃと生きている絵はほんとに素敵です。スクリーンいっぱいに海の生き 物がそれぞれ勝手に動き回っている感じが素晴らしい。私は磯遊びが大好きなんだけど、岩陰に不思議なかたちの生き物がそれぞれの生態で折り重なったりすれ 違ったりしながら生きているのを見ていると、人間も俯瞰したらこんな感じなのかなーなんて、のんきな気分になれるということが、ひとつの理由として あったりします。そしてそれって、生きてるってそんなに悪くないなって思うことに近いし、この映画の「生まれてきて、よかった」というキーワードに通じて いくものがあるのではないでしょうか。

海をひとつの登場人物として描いたと作品解説にありました。波のうねりが強くて怖かったり、急に水温が変わってぎょっとしたり、波間に黒い影をみ てパニックしたり。そういった海における恐怖を思い出す反面、前述した岩陰の魅力的な世界も同時に想起させるような「海」の表現は、まさにひとつの登 場人物としての存在感をもって迫ってくるものでした。海がひとつの登場人物だという設定も、その設定を全うしていることも新しいし面白いと思いました。

ストーリーはいたって童話的でハッピーなものなんだけど、これをハッピーなストーリーとして観る事のできない人も多いだろうなとは思いました。素 直にストーリーを追う/追わないの分かれ目は、ポニョを何かのメタファーとして見ない/見るに多くかかってくるのかもしれません。見慣れない姿のポニョ を、見知った何かに当てはめることは簡単だから。でも、ポニョは「さかなの子」だと主題歌でも歌っているわけで。相対する存在として人間の少年が配置され ているわけで。きちんとそこには描き分けがあったので、ポニョというキャラクターは、ポニョというキャラクターでしかないのではないかと思います。なんで もかんでも同化して考えるのは想像力に蓋をする行為ではないかとわたしは思います。

童話的でハッピーなストーリーであるからして、つっこもうと思えばいくらでもつっこむ要素のある映画だと思います。と同時に、それをわざわざする ことはないな、と思わせる魅力のある映画でもあると思います。ここ数年、ジブリは確信犯的にご都合主義を映画に盛り込んでいるけど、それって悪いことでは ないと私は思うのです。個人的な妄想を魅力的にアウトプットして、それで人々を魅了するのがフィクションなのだから。ある種の人々は、自分の妄想には寛容 なくせに、他人の妄想に対してやけに手厳しいから不思議です。

宮崎監督が、「不安と神経症の時代に立ち向かおうというものである」と語ったことに対して、ポニョ VS 神経症という誤った対立構造を持ち出して、過剰に反応する層が存在してると感じています。"不安と神経症の時代"に対立するのは、監督のアウトプットの姿 勢なのであって、ポニョ自体ではないです。不安と神経症の時代"に歓迎されるものではない、という自覚をもちながらこの映画を作ったことがすでに表現 の一端なのだから、そこにヒステリックに反応することは、すでに映画に取り込まれているということではないでしょーか。

ポニョという映画は、個人の性質によってとことん評価が異なる映画だと思います。何を見つめるか、何を見過ごすか、という個人の基準 が感想に大きく反映されるように思います。基準となるポイントが、映画を観終わるころにクッキリしてくるような感じがして、わたしはそれがこの映画に込め られた仕掛けなのかな、なんて思いました。映画自体が表層となり、その奥にあるものが突然意味をなす、その感触はなかなか得がたいものだと思います。

カーズ

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安心と信頼のピクサー作品。

子供にも理解できる平易なストーリーとモチーフ使いですが、大人も大満足できると思います。ストーリーの理解に関係のないところに、大人向けのちょっとしたネタが盛り込まれているのでなんだか得をしたような気にすらなってしまいます。

そして、ピクサーはキャラクターの肉付けが本当に上手。「kawaii文化」がお家芸の日本人には、とてもじゃないけど、かくもカラフルな性格の幅を持たせて車をキャラクター化することはできないだろうなと思います(それがダメだということではなく、単に個性の問題です)。そういう意味で、日本人にとっては特に新鮮なアニメーションではないかと思います。

いつもながら、ピクサー作品を観て思うのですが、リアリティを追求するところと、デフォルメするところの線引きが本当に上手です。アニメーションの位置づけというものを「絵が動くもの」から、「映画ではできないことを全て実現するもの」へとシフトさせている感があると思いました。

奥様は魔女

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かつての大ヒットテレビドラマシリーズのリメイク。ニコール・キッドマンとウィル・フェレル(ラジー賞受賞・・・)というまさかの取り合わせに驚きました。単なるヒット古典の焼き直しではなく、凝ったプロットがあって、モダンな演出やオリジナルへの愛のあるオマージュがあったりして、「良質なリメイク作品」という印象がありました。女性監督らしい可愛い小ネタもたくさん。ハッピーな気持ちになれるとても良い映画だと思います。
R15ということでしたが、だからといって大人向けの内容というわけでもなく。ハリポタファンのためだけにある続編というかんじでありました。

バットマンビギンズ

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「インソムニア」「メメントの」のクリストファー・ノーラン監督がバットマンを撮る!とか、渡辺謙が出演!とか、何かと話題だったバットマンビギンズですが、個人的には「アメリカン・サイコ」でヤッピーのサイコ殺人鬼を演じたクリスチャン・ベイル(最近では「マニシスト」の役作りでの30kg近い減量で話題になりましたね)がバットマンを演じるということにつられて観にいきました。

結論から言うと、私的には映画としてはイマイチでした。もともと私はストーリーにはさほど重きを置かずに映画を観るタイプなのですが、それでも筋の詰めの甘さが気になりました。バットマンがいかにして生まれたか、というテーマである以上もうちょっと頑張ってほしかったなーと思ってしまいました。インソムニアで繊細な心理描写を見せた監督なだけに残念。監督の罪ではありませんが、字幕がやぼったいのもテンション下がりました。

で、ヒーロー映画に不可欠な、ヒーローそのものを魅せる、という部分についてもちょっと物足りない感じ。サム・ライミのスパイダーマンと比べると明らかに物足りない気がします。監督のタイプが違うので仕方ないですけど。

さらに言うと、ヒロインが気に入らない・・・ってコレは明らかに好みの問題ですね。ケイティー・ホームズといえば、昨今トム・クルーズとの熱愛報道でアメリカのタブロイド誌を賑わせている女優ですが、彼女の最近のパブリックイメージと役柄の自立した女性像がどうもしっくり来ない気がして。トムに釣られて新興宗教(サイエントロジー)に入信するわ、トムに言われて仕事は蹴るわ、トム・クルーズ本人もケイティとの交際報道以降は奇行が多いし・・・という。なんかキモチワルイ女優だなーというのが私の個人的なケイティ感なので、ヒロインとしては気にいらないという感じになったのでした。

そんなこんなで映画としてはけっこう不満ではありますが、ディティールを観ると良い部分もあって、例えば、マイケル・ケイン演じる執事がいい味だったり、バットモービルがエライことになってておもしろかったりするので観ていて退屈、ということはありませんでした。それに、なんだかんだいいつつも、クリスチャン・ベイルのPVとして観るとパーフェクトな仕上がりなので私は満足なのです。ムフ。

Mr.インクレディブル

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恥ずかしながら、初めてのpixer作品です。が、間違いなく2005年度にTV・劇場で鑑賞した映画の中で抜群に面白かった映画です。

元ヒーロー一家の冒険活劇アニメーション。単純明快にして健全なストーリーです。よっぽどひねくれた人間でなければさわやかに楽しむことができるはず。キャラクターの肉付けも良く練られているので、誰もが「このキャラクターが一番好き!」っていうキャラを見つけられるようになっています。(←このへんはディズニー仕込みの巧さだなーとおもいます)で、もちろん基本ターゲットは家族連れなので、子供が退屈しないカラフルさとテンポの良さに加えて、大人も楽しめるしんみり感とちょっとした小ネタも盛り込まれています。

私がスゲー!と感じたのは、CG技術がきちんとストーリー上の演出として効果的に機能している、ていうことでした。それって当然では?と思うかもしれませんが、実際はそうでもないと私は思っています。CGアニメーション映画の陥りがちな失敗に、「こんなに技術があるんです」というアピールに終始してしまって、技術の持つ効果を生かしきれないということがあります。たとえばファイナルファンタジーの映画版。「髪の毛100万本を手描きしたった!」と威張ってみたものの「へー」で終わってしまったという。技術力だけでは感心はされこそすれ感動はされないのですね・・・。
で、私がインクレディブルを良いなあって思ったのは、「こういう映画を作りたい」という明確な野望(?)があって、その野望を果たすために高い技術が用いられるってことであり、高い技術があるから「こういう映画を作りたい」っていう野望を抱くことができるっていう、志しと技術の良いバランス関係があるからなんですね。クラフトマンシップというか、職人魂というか、そういうのがカッコイイなーと思いました。

おまけに、DVDの特典映像が秀逸。興味深いメイキングもさることながら、おまけのムービーが楽しい!普段は特典映像は観ないで終わってしまう人も、インクレディブルの特典映像だけは観てほしいなーと思います。

Author

映画と猫と旅行が好きな
70年代後半うまれの女性

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人には薦めない。

観なきゃ良かった。

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