science-fiction

District9

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2009年に観た映画のなかで、最も面白かった映画です。アメリカ版のDVDで鑑賞しました。アメリカでは今年の8月に公開されました。日本では来年公開予定の模様です。

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さすがにあんまり情報がなさそうなのであらすじを簡単にご説明。英語で観てるので固有名詞などはわたしのノリで表記します。

ときはどうやら近未来。南アフリカのヨハネスブルグに、難破した宇宙船が不時着。宇宙船は故障していて、100万人(エイリアンの数え方がわからないので便宜上人間とおなじようにカウントします)以上ものエイリアンが帰れないまま約30年が経過。困った人類はエイリアンを District9 というエリアに隔離することに。結果、District9 はスラム化してしまい、困った人類はエイリアンをヨハネスブルグから遠く離れた新しい場所に移転をさせることを決め、立ち退きと移動のプロジェクトが始動。

プロジェクトのリーダーに選ばれた国連(的な組織)のエイリアン生活安全課(的な部署)に所属するエージェントのウィカスは、立ち退きの通告をおこなうためにエイリアンを戸別訪問することになるが、訪問先で奇妙な液体を浴びてしまったことから予想外の事態に・・・。

というおはなしです。

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以下感想。

娯楽作品としての完成度と、それだけではない奥行きある内容にダブルサムアップです。

アフリカ×エイリアンという組み合わせがまず新鮮。なにかと話題のヨハネスブルグに、100万人を越すエイリアンがごしゃごしゃと暮らしている絵柄はとにかく斬新です。
物語の展開もテンポがよく、予想不可能なため最後の最後まで観るものを飽きさせません。笑わせるところも心得てるなあというかんじ。南アフリカ生まれの監督ならではの余裕で、ゆかりのない者にはなかなか笑いの対象として取り上げづらい、アフリカの極端な文化と風俗と世相とをサラっとギャグにしています。

南ア、隔離、スラム・・・というキーワードからわかるように、アパルトヘイト政策が隠れたモチーフになっています。映画内で人種差別問題には一切触れていませんが、開始10分で「ああ、そういうことか」とすぐにわかります。

わたしがとくに良いと思ったのはエイリアンの表現の秀逸さでした。それは、エイリアンがSF的に良く出来ている、という意味ではなく、この映画におけるエイリアンの立ち位置を全うする造形を追求している、という意味での秀逸さでした。

すがたかたちから生活様式にいたるまでが、絶妙に擬人化されていて、同時に絶妙に異形。見慣れない姿だから怖い、そのうえ特異な生活様式を持っている、でもどことなく人類との共通点はある様子。理解は難しそうだができなくはない、あるいは、理解出来そうだが無理かもしれない、というギリギリのラインをついてきます。

そんな風にしてギリギリのラインを行ったり来たりしつつも、彼らには彼らの尊重すべき生があるということは、物語が進行するなかで観客にはっきりと感じさせるようになっています。このことにより、エイリアンに対する人類の横暴さと身勝手さ、理解の難しい対象に対しての愚かな対峙の姿勢が際立ちます。SF的な画面の体裁をそこなうことなく、かつ、この映画における存在意義を全うする造形としては、ベストなポイントを見事に突いたエイリアン表現だと、わたしは思いました。

このように自己批判的(監督は南ア出身の白人)にアパルトヘイトを隠れたテーマながら強烈に意識させる内容に仕立てつつも、画面上ではエイリアンと人間のコンタクトが極めてSF的に展開するという不思議な両立には、技術と努力による裏打ちと高い志、そしてSF映画への愛を感じます。技術と努力と高い志、そして(SF)映画への愛を感じる映画、それってつまりパーフェクトってことではないでしょうか。

そんなわけで、District9は2009年のベストムービーなのです。

アイランド

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日本での封切り前から、本国米国では、とかく興行的な失敗がクローズアップされていて、いささかカワイソウな感じのアイランドですが、私はなかなか面白い映画だと思いました。

舞台は近未来の地球。自分たちが、”いざという時の肉体のスペア”として商品化されていることを知らずに、一個の人間としての暮らしを送っているクローンたちが、ある日自分たちの本当の存在理由を知ってしまい・・・・、というお話。

タイトルが「アイランド」なだけに、アイランドという単語を軸に映画を捉えてしまいがちですが、アイランドという言葉自体にはさして重要な意味はありません。アイランドというタイトルによって喚起されるイメージ(ポジティブなものであれ、ネガティブなものであれ)と、実際の映画の内容がイマイチ結びつかないというのも、興行成績に影響しちゃったのかも。実際に映画の主軸となっているのは、クローンの行き先(アイランドね)ではなく、クローンは人間か否か、という点や、人間のコピーに尊厳は必要か?ということだと私は解釈したので、そんなイメージでタイトルつければ良かったのになあと思いました。(クローンを作ることで)人は神になれるのか?、というテーマもまた、この映画のテーマのひとつでもあったっぽいので、神に対する認識の濃ゆいアメリカではその点にクローズアップしても良かったのかも。いい加減な憶測ですが。

人間であれクローンであれロボットであれ、何かの管理下にいたものが、ある日自我に目覚めることでストーリーが動く、というテンプレートは、SF映画に頻出のテンプレートですが、私はそういうテンプレートにのっとることは別に悪いことではないと思っている方なので、この映画に対して「ありきたりなストーリーだわん」という感想は持ちませんでした。むしろ、クローンを作ると言うことがまだSF的な妄想の範疇にあった時代のクローン映画と、この映画とを見比べてみたいなーという気持ちになったのでした。

ちょこちょこっと挿入される小ネタっぽいギャグはなかなか面白いし、近未来の日常生活を示すちょっとした小道具も、夢をくすぐる感じで画面に見入ってしまいました。言うほどつまんない映画じゃないじゃーん、と思うんだけどなあ・・・。

余談ですが、この映画のプロデューサーとその妻は、米国での興行成績の不振を受けて、あちらの雑誌のインタビューで”ユアン・マクレガーとスカーレット・ヨハンソンの演技がイケてなかった”というような愚痴をこぼしていたんですが、大人げなくてカッコ悪いエピソードですね。制作スタッフは一枚岩であってほしいなーと映画制作の現場にロマンを感じる私は思ってしまいました。

Author

映画と猫と旅行が好きな
70年代後半うまれの女性

★Stars

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おすすめ。
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悪くない。
★★
人には薦めない。

観なきゃ良かった。

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